真田丸 あらすじ ネタバレ 第7回
「奪還」
2月21日日曜日に放送。
1582(天正10)年6月18日、世に言う"神流川の戦い"にて、滝川一益(段田安則)が北条氏直(細田善彦)に敗れた。
その混乱に乗じて、上野国の沼田城に乗り込んだ信繁(堺雅人)だったが、すでに祖母・とり(草笛光子)と女中・きり(長澤まさみ)は、連れ去られた後で、蛻の殻だった。
早速昌幸(草刈正雄)は、沼田城を叔父の矢沢頼綱(綾田俊樹)に任せ、岩櫃城奪還を信幸(大泉洋)に任せる手筈を整えて、信繁とともに、一益の退却先の箕輪へ出立する。
到着早々より一益との対面にて、昌幸は背後の上杉勢による滝川領侵攻からの死守を口実に、加勢に応じられなかったと詫びる。
一益は了承、沼田城を真田家に明け渡して伊勢へ戻る旨を伝える。 しかし、身の安全のため、とりときりは人質として預かるという。
昌幸は、人質の件で内心後悔した。
それからほどなく、一益の一行は、本領の伊勢長島への帰還を前に、亡き信長(吉田鋼太郎)の後継を決める清須会議に間に合わせようと、碓氷峠を越えて道家正栄の守る小諸城にて一泊。 しかし、翌日早々より、木曽義昌(石井愃一)に仕える手勢に行く手を阻まれてしまった。
かつて一族の生き残りのため織田家に寝返った義昌は、武田勝頼(平岳大)に預けられた人質を殺され、中でも勝頼に近い立場にあった真田家を強く恨んでいた。
それを重く見た一益は、義昌と木曽の福島城にて会談。 小諸城明け渡しに伴い、とりときりは義昌の人質になることが決まった。
事なきを得た一益は急いだが、6月27日の清洲会議には間に合わなかった。 以後、勢力に翳りが見え始めてゆく。
前後して信繁は、側近の矢沢三十郎頼幸(迫田孝也)を伴い、義昌不在の小諸城へ到達。
城を守る義昌と一益それぞれの兵の交錯する中、一益のからは義昌の、義昌のからは一益の、それぞれの兵として装いつつも、信繁と三十郎は前へ進んだ。
ようやく、とりときりの住み込む部屋に入って安堵する間もなく、敵に発覚、まとめて囚われてしまった。
万事休すの思いだったが、かねてから義昌と関わりのある、とりの肝の強さと取り成しあって、とりのみ人質に。 信繁と三十郎ときりは小県へ返されてゆく。
一方の昌幸は、川中島地域の海津城に出向いて、上杉景勝(遠藤憲一)と直江兼続(村上新悟)と会談。 上杉家への忠誠を誓い、北条家との戦への助力を申し出る。
その後、急ぎ舞い戻った真田屋敷にて、側近・出浦昌相(寺島進)と密談。 真田家への敵意を秘めた室賀正武(西村雅彦)が北条家に仕えたとのことで、思案を深める。
そこで昌相は、真田家への裏切りを口実に仕官を装って、北条家を探る決意固め、出立へ。
そこへ、信繁の帰還。 安堵する間もなく、昌幸は信繁を叱責。 これまでの経験の蓄積を基に行動する信幸に反して、直感のみでの行動ゆえの失態であることを。
そして、信幸と一心同体であることを諭された信繁は、信尹(栗原英雄)の待機する海津城へ出向くよう命じられて出立。
目的は、上杉家家臣・春日信達(前川泰之)を調略して寝返らせ、北条家への手土産とすることだった。
この物語における真田家の一連の策謀...。
最後の最後まで続くことになるのか...。
武田家の治めた甲斐国同様、信濃国も山に囲まれた土地柄。
戦国乱世の下、生命戦である港と塩を求めて、太平洋と日本海に道を伸ばしたことも、理由の一つということになるのか、生き残りに関しては忍びを使ってでも、必死になるもので...。
真田家の心得、1553(天文22)年から1564(永禄7)年までの5度にわたる"川中島の戦い"に臨むかのような決死の覚悟であるかのよう。
川中島地域の武田勢の拠点城郭としての千曲川河畔の海津城、2012(平成24)年12月21日金曜日発売の『松代 海津城址』(長野電波技術研究所)に目を通すことで、真田家への想いを馳せてみようかなあ。
武田家・上杉家それぞれの家紋の込められ、木と天然石を組み合わせて作った珍しいデザイン【川中島の戦い合戦ブレスレット】を身に付けながら...。
長野市若里の「村田商店」のこだわり納豆である【しっかり小粒納豆】【古今納豆】【道祖神納豆】を味わいながら...。
長野市川中島町の信州産白桃を搾っての瓶詰め【ももじゅぅす 1,000ml】も味わいながら...。
2016-01-13 |
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