真田丸 あらすじ ネタバレ 第12回
「人質」
3月27日日曜日に放送。
徳川氏の刺客となった室賀正武(西村雅彦)を返り討ちにしての、真田氏の信州小県の平定からほどない1584(天正12)年、"小牧・長久手の戦い"が勃発。
羽柴秀吉(小日向文世)率いる軍勢を破り、その名を全国に轟かせていた徳川家康(内野聖陽)だったが、沼田領をめぐる問題の尾を引く真田氏が上杉氏と手を組むことを案じ、長い戦の始まりを予感...。
家康と手を切りたい昌幸は、上杉景勝(遠藤憲一)に家中に加えてほしいとの書状を送ったものの、景勝からは信繁(堺雅人)を人質として差し出せとの厳命。
信繁は苦悩するも束の間、あの祝言の一件以来、昌幸ととしばらく距離をおきたいとの考えのほか、昌幸と違い義を重んじる景勝への関心の強さから、人質になる事を承諾する。
後日、梅(黒木華)に良い子を産むことを願い、きり(長澤まさみ)に気遣いを託した信繁は、供を任された三十郎(迫田孝也)から、生まれてくる子のためにも必ず生きて帰ろうとの勇気づけに押されて、景勝のいる春日山城を目指し、二人出立した。
上田城にて、残された梅をきり(長澤まさみ)が気遣うものの、何となく子を宿した気がしただけと口にしなければ信繁はその気になれないと口にする梅のしたたかさに、唖然とさせられるだけだった。
春日山城に着いた信繁と三十郎は、景勝の先客への対面のため、しばらく足止め。 それでも、身分の分け隔てなく民の訴えを聞く景勝の姿勢に、二人は感服。 そして、ようやく対面へ。
景勝はまず、信繁を人質に指名した理由を伝える。昌幸に息子を差し出す覚悟の有無はもちろん、以前助けを求めた際に見せた信繁の自信あふれる顔が忘れられなかったとのこと。 そして、人質とはいえ客人と同じように接することを約束する。
先代・上杉謙信の位牌が置かれている仏間へ案内された二人に、景勝は伝えた。
上杉家は「義」のある戦しかしないこと。 敵の方から攻めてくれば立ち向かうが、私欲のためだけに他国を侵略することはしないこと。 国づくりの根幹は民の暮らしの安全を守ること、民の心をつかまずに国づくりはできないこと。
ゆえに、沼田城をめぐる攻防で誰も死なせずに北条軍を追い払った信繁の行動は、上杉家の教えと同じだと高く評価。
逆に、義を忘れて私欲のためだけに生きると人はどうなるのかとの信繁からの問いには、織田信長(吉田鋼太郎)の天下を取りながらの家臣の裏切りによる悲惨な最期を例にあげる。 死に様は生き方を映す鏡として。 己に恥じぬよう生きるのみとして。
淡々としつつも、人の心の琴線に触れる切々とした主張に、二人は感服させられる。
しかし、上杉氏と真田氏の遺恨が解消されたわけではない。
昌幸の元には、沼田城を上杉氏に返す旨の記された景勝の家臣・直江兼続(村上新悟)からの書状が...。
しかし、そもそも沼田城をめぐっては北条氏と揉めたために上杉氏に助けを求めたとあって、沼田城返上は本末転倒と考える昌幸は、信繁に一任する。
信繁は景勝に相談。 しかし、他国との交渉は兼続に一任の姿勢だった。 それゆえの独断であることに驚いた信繁の立場を慮った景勝は、兼続に掛け合うことを約束する。
ある日のこと、信繁は漁師の治兵衛や又吉たちと役人との押し問答に遭遇。 3ヶ月前、治兵衛たちが景勝にもめ事の相談をしていたのを知っていた信繁だけに、いまだ音沙汰なしとは不思議だった。
兼続が打ち明けるには、景勝は困っている者を見るなり力になるとまず約束してしまうとのことだった。
景勝自身それを自覚しているようで、今の自分には、民の話を聞いてあげることしかできないと落胆することもしばしばだった。
その景勝の姿に、信繁はこの時以上に尊敬していると告白するが、沼田城の一件をまだ兼続に伝えていないと知って、あきれてしまった。
思い立った信繁は、沼田城を上杉氏に渡す意思が真田氏にないことを兼続に申し出るが、即座に真田氏とは手を結ばぬとの回答のみだった。
さらに数日後、景勝と馬で浜に出た信繁は、神社の入り口での治兵衛と又吉の揉めごとに遭遇。
驚いたことに、戦国時代から江戸初期に行なわれていた神の判定を仰ぐ儀式、すなわち、赤くなるまで熱した鉄の棒を握り、指定の位置まで運べた方の主張が正しいとする、「鉄火起請(てっかきしょう)」で決着を付けようとする勢い。
早く握るよう奉行の斉木からの催促での治兵衛の尻込みを見かねて、信繁が割って入り止めようとするも、斉木は神の御心を承るにはこれが一番と頑なに主張するのみ。
意を決した信繁は、鉄火起請で決めようと、ます斉木に鉄棒を握るよう促す。 周囲の言葉を失うくらいの動揺をすぐに察して、信繁は日替わりでの漁を提案し、景勝も潮の変わり目での交代を後押しする。
一件落着して、景勝は信繁の機転を高く評価する。
上田城では、梅が信繁の子を出産した。 女の子で名前はすえとつけられた。
上杉氏は真田氏と手を組むこととなった。上杉氏が真田氏を守ること、上野の沼田・信州の小県を真田の領地と認める旨の記された書状を手にした昌幸は、すぐに手切れの書状を家康に送った。
家康は、鳥居元忠率いる徳川軍7,000人を上田城に向かって進軍させる。
対する真田軍は2,000人。 景勝は領内から戦える者をかき集めて援軍を送り、信繁と三十郎も加わった。
国づくりの根幹は民の暮らしの安全を守ること、民の心をつかまずに国づくりはできない、との考え...。
どれだけ、現在のこの国の人たちの心に浸透しているものなのかを、悲しいかな、つい想像してしまった。
改めて、2013(平成25)年12月10日火曜日発売の『上杉謙信謎解き散歩』(花ケ前盛明/中経出版)で記されている歩みを、振り返ってみることは、もちろん...。
そして、越後へ、現在の新潟県上越市への想いを馳せながら、味わってみたくもなった。
【特別栽培米 新潟県上越市野尻産コシヒカリ 5kg/2kg】のみならず、『くさのや』の【27年度新潟産米丸餅36個入り】も...。
さらには、【新潟県上越市産 無農薬・無化学肥料 しいたけ 原木栽培生椎茸 1kg】も...。
あの『西沢珍味販売』からは、【サクサクわかめ 210g】と【ねばる昆布 75gX2パック+25gパック】と【鮭とばハラス 160g】と【鮭スライス 100g】と【はぎの浜焼き 180g】と【焼かわはぎ 180g】も...。
2016-02-10 |
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