おんな城主 直虎 あらすじ ネタバレ 最終回
「石を継ぐ者」
12月17日日曜日に放送。
1582(天正10)年6月2日の"本能寺の変"による天変地異の中...。
三河帰還早々より、家康(阿部サダヲ)は光秀(光石研)討伐の軍勢を集めての進軍の中...。
尾張国鳴海にて、報せが...。
羽柴(のちの豊臣)秀吉による"中国大返し"敢行早々、6月13日の"山崎の戦い"での光秀の敗走、途上での落武者狩りによる最期...。
家康は、駿河へ帰還。
織田家領国だった旧武田領の甲斐国と信濃国での一揆の一斉勃発。 越後国の上杉家、相模国の北条家、それぞれ旧武田領への侵攻の気配。
徳川家による周辺の安定への尽力の一方...。
直虎も徳川家の下での生存をかけて、井伊谷安定のため方々への奔走の反面...。
光秀の遺児・自然(じねん)の将来への道筋を考える日々の中、漫然とした不安の高まり...。
案の定、万千代(菅田将暉)が屈強な供数人を伴い、自然の徳川家引き渡し要求。
直虎は出家を口実に拒絶。 同時に、これまでの井伊谷の人たちからの想いゆえ生き永らえた経緯を以って、万千代に肉迫。
万千代は引き下がるしかなかった。
時は流れて....。
竜宮小僧のごとく疾走の直虎も、いよいよ終焉の時...。
これまでの井伊谷なじみの多くの人たちに慕われる中...。
井伊直虎、1582(天正10)年8月26日、静かに永眠へ...。
万千代は元服。 亡き直親(三浦春馬)と亡き政次(高橋一生)からの、それぞれ一字を以って、直政と改名。
この年6月より尾を引く"天正壬午の乱"にて、北条家との講和交渉を徳川方の使者として尽力...。
10月29日に終焉ほどなく、家康は武田家旧領の信濃国・甲斐国併呑。
直政は下知を以って、武田家の多くの旧臣たちを付属の一部隊を編成。すなわち朱色の軍装を継承の"井伊の赤備え"とともに士大将に...。
こうして井伊直政は、「徳川四天王」の一人として、家康の天下取りを全力で支えた功臣として、のちに名を馳せてゆく。
直虎から直政へ...。
完全なる世代交代による大団円...。
2016(平成28)年11月30日水曜日発売の『井伊直政 逆境から這い上がった勇将』(高野澄/PHP研究所)...。
“一族の悲願”を背負って乱世を駆け抜けた男の一生...。
2015(平成27)年3月24日火曜日発売の『すごいぞ! 彦根城』(サンライズ出版)...。
姫路城同様の遺構のいまだに息づく城郭に相応しい勇姿が...。
1602(慶長7)年2月1日の直政の死後、遺臣である家老・木俣守勝が徳川家康と相談の上、遺志の継承。 1603(慶長8)年から1606(慶長11)年までの2期にわたる工事。 1616(元和2)年からの彦根藩のみの手による第3期工事開始。 1622(元和8)年の全工事終了。
以後の加増の蓄積ゆえ、1633(寛永10)年の徳川幕府下譜代大名として最高35万石。
以来、多くの大老輩出の譜代大名の井伊家14代の居城としての歩み...。
1992(平成4)年の日本の世界遺産暫定リスト掲載か...。
織田信長の"稲葉山城の戦い"勝利に伴う1567(永禄10)年11月の"天下布武"ゆえ名高い現在の岐阜県羽島郡笠松町の『Tシャツ工房 壱番店』からは...。
【侍・和柄・戦国武将Tシャツ 井伊の赤鬼 井伊直政】...。
それぞれに想いを馳せながら...。
"桶狭間古戦場"で名高い現在の愛知県豊明市新田町下一の割の『マリーヌ洋菓子店』からは...。
【戦国武将どーなつ10個セット ~女城主井伊直虎物語~】...。
1883(明治16)年より、日本の近江牛のすき焼き屋の元祖として、明治・大正・昭和の三代にわたり宮内庁御用達として、大膳祭に天皇が召し上がる牛肉(近江牛)納入として、それぞれ名高い東京・『松喜屋』開店以来の流れのまま大阪府柏原市旭ヶ丘『monokoto屋』からは...。
【近江松喜屋牛 あみ焼用(ロース・モモ) 500g 国産牛 近江牛】や【近江松喜屋牛 あみ焼用(モモ・バラ) 600g 国産牛 近江牛】や【近江牛カレー 近江「松喜屋」味の手作り工房ビーフカレー (甘口・中辛・辛口 各2食) 6食】...。
最後の御口直しとして...。
滋賀県彦根市京町にて1872(明治5)年創業の『みやおえん』から....。
【格式ある能面 缶入り銘茶詰合せギフト 煎茶2本入り 各150g お中元お茶ギフト】...。
じっくりと噛みしめてみようかな。
井伊家のために...。
遠い将来を生き抜く次世代のために...。
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