いだてん あらすじ ネタバレ 第20回
「恋の片道切符」
5月26日日曜日に放送。
先の箱根駅伝での盛況を背に、治五郎(役所広司)はフランス教育者・近代オリンピック創立者のIOC会長・ピエール・ド・クーベルタン男爵(ニコラ・ルンプレラス)へ直訴状。 マラソンのアントワープオリンピック正式種目復活へ...。
大日本体育協会本部での選手選抜会議にて、会計監督の清一(岩松了)の手腕で、選手15人・監督1人へ渡航費支給...。
マラソンは、四三と茂木など4人決定。 アメリカ在住のテニス有力選手も2人選抜...。
源三郎(永山絢斗)は陸上10種競技への出場申し立て認可。 水泳は浜松の内田正練選抜...。
正練は、医師から水泳禁止ながら春より東京帝国大学学生・田端政治(阿部サダヲ)率いる「浜名湾遊泳協会」のメンバー。 オリンピック出場を祝う会にて、政治にクロールとの泳法伝達へ...。
ある日の夜明け前、四三が下宿近くをランニング中、シマ(杉咲花)と奇遇...。
人目つかぬ夜明け前のランニングしかないとのシマは、不満鬱積。 弥彦(生田斗真)からは、いずれ西洋のごとく日本で女子スポーツ盛況見込みでも、実際ではいまだ西洋で認可されず理不尽。 男走ると喝采、女はなぜ人目忍んで走らねばならぬのか、と。
四三は返答できぬまま...。
1920(大正9)年5月、横浜港にてベルギー・アントワープ出発前の日本選手団壮行式...。
選手団の主将・源三郎ほか12人、東京帝国大学陸上部出身の弁護士・辰野保を監督の一行は、横浜から船でサンフランシスコ行き、アメリカ大陸横断経て、ニューヨークで団長・治五郎とテニス選手2人と合流...。
さらにOLYMPIC号との船で、イギリス・ロンドン経てアントワープへ...。
東京女子高等師範学校では、トクヨ(寺島しのぶ)がシマへの見合い代行の哀願...。
8月3日、ベルギー・アントワープ到着...。
8月14日開会式当日、横浜正金銀行ロンドン支店勤務の弥彦が、日本人選手控えるロッカールーム訪問、四三との再会...。
約3ヶ月後、東京高等師範学校講堂でのオリンピック報告会...。
後方よりスヤ(綾瀬はるか)と実次(中村獅童)注目の中、テニスではシングルス・ダブルスともにメダル獲得。 源三郎の10種競技は12人中最下位...。
一喜一憂の報告の中、政治が会場入り...。
壇上では、水泳・正練が、東京高等師範学校・斉藤ともども予選に敗退との報告の中、世界の競泳界は今やクロール一色、即刻日本もクロール習得かつ普及せねばとの主張...。
政治は胸の鼓動の高揚...。
最後は、源三郎からのマラソン報告...。
スタート早々、四三は茂木たちへの激励の傍ら、アントワープの街中走行、折り返し地点で25位。 以後の順位上昇の5位、35km地点まで快調...。
ところが、以後ペースダウン、2時間48分45秒での16位のゴールへ...。
トクヨは、治五郎の会見の日取りと惨敗の責任を詰問。 一旦廃止決定のマラソンを正式種目復活の挙句、四三は惨敗。 国際舞台で赤っ恥、と。
報告会終了早々、道明(杉本哲太)は源三郎とトクヨに、アントワープでの治五郎から会長職辞任の意向の伝達。 50年後も100年後も、日本選手たちのスポーツ楽しむ姿の変わらぬことを望む、と。
傷心の四三は、オリンピック後のヨーロッパ彷徨、ふとスタジアム前にて...。
突然足元に槍投げの槍が...。
咄嗟に短パン姿のドイツ人女性駆け寄り、四三へ謝罪。 すぐ遠くへ引き返し再度の槍投げ...。
四三は驚愕かつ茫然自失...。
今後いかなる成り行きへ?
1920(大正9)年9月12日までの、アントワープオリンピックか...。
2018(平成30)年6月22日金曜日より発売の『地球の歩き方 オランダ ベルギー ルクセンブルク 2018~2019』(地球の歩き方編集室/ダイヤモンド社)...。
2016(平成28)年8月11日木曜日より発売の『ベルギー大使の見た戦前日本 バッソンピエール回想録 (講談社学術文庫)』(アルベール・ド・バッソンピエール,磯見辰典/講談社)...。
以上の段階的な深化を経て、2017(平成29)年12月23日土曜日より発売の『歴代オリンピックでたどる世界の歴史』(山川出版社)まで...。
東京都江東区豊洲「レッドホースコーポレーション」名物【ベルギー コインチョコレート ミニ 12箱セット】を堪能しつつ、選手たちへの想いを馳せるか...。
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